2019年 熊野寮入寮パンフレット
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B3どきどき ディアスポラ!

B3の民はディアスポラした. 一夜にして住む場所を失った私は, 茫然として昨日までB3のテリトリーであったB棟3階の廊下にたたずんだ. 季節は一年で最も寒い2月上旬. コンクリートむき出しの床と廊下からは, その表面に厚く積もった埃でも防ぎきれない冷気が立ち上っている.

今日からB棟3階は, 同じ棟の1, 2階に本拠地を持つB12と4階に居住するB4が分割統治することに決まった. B3構成員は事実上3階の部屋を追放され, 寮の食堂に寝泊まりする者, 大学の研究室に居場所を求める者, 友人の家を転々とする者等々, 三々五々に離散してしまった.

4月の大学入学とともに熊野寮に入ってから, 一年近い月日をブロックB3において面白おかしく過ごしてきた. 入寮してすぐに始まった数日おきの新歓コンパ. その中でもB3の新歓は, 春浅くいまだ冷たい鴨川を横断するなど, 異彩を放っていた. 6月の中庭の民生池畔における楽しいバーベキュー. 10月末, 真っ暗な大文字山に深夜登山を敢行したこともある. 12月の熊野寮祭では, 寮祭企画として木馬(?) から回転装置(?) に至るまで完全人力のメリーゴーランド(?) を手伝った. イベント以外でも, 炊事場, 談話室, 食堂で顔を合わせれば, そこではいつも暖かく皮肉に満ちた会話が喧々諤々と交わされた.

この一年間, B3の愛すべき民と過ごした日々を想って, 私の双眸から熱い涙があふれ出す. しかし私には, その雫を拳で拭い去ることはできない. 私の両手はいま, この原稿をタイプするために, 戦場を縦横無尽に駆け回る伝令のようにキーボード上を踊り狂っている. 〆切が近いのである. 世は試験期間である. 先程まで私は寮の食堂で, 宗教哲学講義の難問と四つに組み合っていた. そこに一人の先輩が声を掛けた. 髪をその中程からいつ見ても言語化することのできない色に染め, 薄い色の入った眼鏡をかけた痩せて背の高い男性だ. 見た目は, 高校時代に恐れられた伝説の暴走族が, 大学に入ってバンドマンにシフトしてからもゾッキー風味がなお残っている感じである. かつて私は, 先輩に「体重が乾漆造の仏像より軽そうですね」と言って怒られたことがある. この人こそ, 私に入寮パンフの原稿を依頼してきた張本人である.

先輩は, 授業プリントの細かい字から目を上げた私に, 「入寮パンフの原稿書けそう? 」と言った. 実にこのときまで私は, 「試験期間だし, 先輩も前に『書けたらでいい』って言ってたし, 謝って約束を取り消してもらおう」とクズの思考をしていた. 思い返せば, 私の虚言癖を見込んだ先輩から「一週間くらいで書いてほしい」と最初に頼まれたのが, 一週間とn日前である. それ以来私は, 先輩との一切の連絡を絶った. そして先程の先輩の発言に, 私は恐れ慄いた. 断るつもりでいた, などとは口裂け女になっても言えない. 私は, 震えてきちんと閉じられない唇の隙間から声を絞り出した. 「いま書いていたところです」

先輩は脇に抱いていたPCを, テーブルの上にバサッと置いた. そして, まるで私の状況をすべて見抜いた上で, 慈悲を垂れるようにこう言った. 「これから1時間くらい大学行ってくるから, その間に完成させといて」

立ち去っていく先輩が, 乾漆造の天使像に見えて, 私はその背中に手を合わせた.

さて, それから2時間ほどがたつ. まさに光陰矢の如しである. 少年老い易く, 原稿は成り難い. 一体誰が, キーボードなどという悪魔の筆記方法を考え出したのだろうか. そのせいで私の両手は原稿作成に拘束され, 約束の地・カナンB3を想って縷々と流るる涙さえ止めることができない. ああ, 先輩が帰ってきた. せんぱいがだいがくからかえってきた. せんぱいはわたしのまえでたちどまり, そしてくちをひらいた.

「ねえ, 原稿まだ? 」

このときばかりは神も, 私のメタ的記述を許したもうた.

この物語は, 諸君が熊野寮に入寮するまではフィクションである.

(文: 仏子)